SPECIAL
COLUMN
2023.09.30
特集『壊す、磨く、作る、再生の730日』
先日、滋賀県の社会福祉協議会が主宰する、福祉分野で働くケアマネージャーや保育士、社会福祉士などの人たちが仕事をしながら専門性や知識を高められるよう設立した「えにしアカデミー」の修了式が行われ、no-de代表の髙木氏が2年間の講義を見事修了し、福祉マスターの称号が与えられました。
えにしアカデミーでは、それぞれ受講者が専門的な講義を受講し、課題研究や論文の執筆などを行います。
この2年間の「学び」の機会は髙木氏にとってどのような体験だったのでしょうか?
本人がこの2年間の学びで得た軌跡や気づきをコラムとして執筆しました。
以下、ご覧ください。
福祉を学ぶ人
令和5年9月13日に行われた修了式をもって、私は「えにしアカデミー」を卒業した。
そもそも、えにしアカデミーとは何か、という説明は敢えてしない。これを読んだ人が感じ取ったものが、えにしアカデミーの本質になる、と思う。
入学の動機は、漫然と「今のままの自分では(福祉に)立ち向かえない」と思ったからだ。20年間障害福祉分野で仕事をし、現場経験も、管理職経験もそれなりに積んできたが、それだけを頼りにあと20年仕事をするには、どこか心許ない。どこかで、自分の福祉感を一度ばらし、磨き上げ、組み立て直すような時間が必要だと考えていた。
えにしアカデミーでは、高齢、保育など福祉他分野の課題はもちろん、社会や地域というワードを踏まえた上で、福祉を学ぶことができる。障害福祉というフィールドで自分が何を大切にしてきたか、そしてそれを後輩に伝える術を学ぶことを目標とした。
働きながら学ぶ、ことは想像以上に大変だった。これは単に、9時間の業務実働のあとは疲れて学ぶ時間がとれない、ということではなく、『自分の』学びは、仕事はおろか私生活の家事や子育てと比べても優先順位を下げざるを得ず、思考を巡らせる時間が限られることにストレスがあった。
オンラインでの授業に感銘を受け、周辺領域の文献を読みたい気持ちになっても、次の瞬間には職場のトラブル対応に頭が切り替わる。夜、自宅でゼミに提出する論文を書き始めても、子どもが咳で眠れず寝かしつけを余儀なくされた。結局、中途半端な思考が散乱し、片付かない。次に学びを再開しようとする時は、足の踏み場のない散らかった部屋から、いつかの思考を探すところから始めなければならなかった。大人になって「自分の」をいかにおろそかにしてきたか、そして「自分の」を守ることがどんなに難しいかを痛感した2年間であった。
2年間の学びを終え、卒業と同時に、「滋賀の福祉人マスター」という称号をいただいた。マスターの名に相応しい人物になれたかどうかはさておき、「福祉人」と称されることは本当にうれしい。これまで、資格取得を代表とする知識技術の学びや研修機会はあり、私も幾つかの資格を有している。加えて、一応経営者でもあるので、福祉の仕事と向き合う時に、場に合わせて自分のチャンネルを切り替えるのだが、それらはすべて福祉人であるために行っていることである。誰かを指導し正すことや、大金を稼いで億万長者になることが目的ではない。自分が気づいたことをそのままにせず、手を伸ばすことで何かがいい方向に変わる、そんな役割を果たすために「福祉人」をしてきたつもりだ。
学びの結び、から少し遠回りをするが、ここ十数年の障害福祉における制度変化はすさまじいものがあり、今やサービス提供側と受け手は、契約書を挟んで向かい合うような構図をイメージする人が多い。しかし、そこに落ち着いてしまうと、福祉、というか、そもそも人と人が交差した時に生まれるナニカを見落としてしまうのではないか。そしてそのナニカ、は、きっと福祉人であり続けるためには大切なもので、どうにか後輩にそれを伝えたい。それに対して答えを出すため、ゼミでは自身のこれまでの実践や、先人の実践を「相互エンパワーメント」というキーワードでつないで研究をした。
サービス提供側、その利用者という構図以前に、人と人が出会うときには何かしらドラマがある。その変化、影響の及ぼし合いこそが、人と交わる醍醐味なのである。福祉職員として働く後輩には、利用者へ良いサービス提供をすることと同時に、その醍醐味を存分に楽しんでほしい。これが私の2年間の学びの結びである。
かくかくしかじか、これからも福祉人として生きていきます。
一般社団法人no-de代表 髙木 伸斉